2010-05-12 第174回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号
米国のかつてワインバーガー国防長官が、沖縄の海兵隊は日本の防衛任務には当てられていないと明言しているわけですよ。更に言えば、日本の側の元陸上自衛隊の冨澤幕僚長ですね、在日米軍基地というのは日本の防衛のためにあるのではなく、米国中心の世界秩序の維持、存続のためにあるんだということを述べているわけですよ。
米国のかつてワインバーガー国防長官が、沖縄の海兵隊は日本の防衛任務には当てられていないと明言しているわけですよ。更に言えば、日本の側の元陸上自衛隊の冨澤幕僚長ですね、在日米軍基地というのは日本の防衛のためにあるのではなく、米国中心の世界秩序の維持、存続のためにあるんだということを述べているわけですよ。
アメリカ政府よりは、レーガン大統領、ヘイグ国務長官、ワインバーガー国防長官、マンスフィールド大使を初めとする米国政府要人から、本件事故に対する遺憾の意の表明が行われました。 今お尋ねのことですが、本件事故の関連でジョージ・ワシントン号の艦長及び当直士官が懲戒処分となったと承知しております。
特に一九八二年のアメリカの上院で、沖縄海兵隊の役割についてというのでワインバーガー国防長官が非常に重要な発言を行っております。それは、沖縄の海兵隊は日本の防衛任務には当てられていないと、そうではなくて第七艦隊の即戦海兵隊をなして、西太平洋、インド洋のいかなる場所にも配備されるものであって、将来はペルシャ湾の緊急配備軍もあり得るのだということをアメリカの上院歳出委員会の公聴会で発言をしておられます。
ワインバーガー国防長官のときです。「沖縄の海兵隊は、日本の防衛任務には割り当てられていない。そうではなくて、沖縄海兵隊は第七艦隊即応海兵隊をなし、第七艦隊の通常作戦区域である西太平洋、インド洋のいかなるところにも配備されるものである」、これは文書で答えているのですね。これは総理、御存じでしょうか。
ワインバーガーが国防長官の時代に、この沖縄の海兵隊を緊急配備軍の一部隊に任命することはできないのかという質問が出されたのに対して、沖縄の海兵隊は日本の防衛任務には充てられていないとワインバーガー国防長官は明確に答弁しているんです。
日本についても、例えばレーガン時代のワインバーガー国防長官がなぜ日本に来て突如宮澤さんに会うのか。こういうようなことが非常に意識的、連携的に行われているのではないと思いますけれども、しかし旧来の政治の継続性を求める声は非常に強い。
レーガン大統領の時代のワインバーガー国防長官も自衛隊の海外派遣という日本の軍国主義化を全く不気味なものというふうに指摘しております。あるいはハワード・ベーカー首席補佐官は、日本に対してこの軍事的役割を支持する国はアジアにはないと断定をしております。こういう意見が出てきた。
ワインバーガー国防長官はアメリカの国防報告で、大綱には千海里シーレーンは入ってないって指摘をしているわけです。ですから、そういうことをもうさんざん言われ尽くしてきたわけです。ですから、こういう大きな変化が起きたのですから、大きな変化が起きたら見直しますと政府は言ったのですから、素直にそれを見直すというのが僕はわかりやすい政治だと思う、わかりやすい政治。
ただし、これも決して新しいことではございませんで、基本的には、レーガン政権が発足いたしましたときにワインバーガー国防長官が上院の外交委員会で、米国として単独で世界全般にわたる利益を守るということは不可能であって、レーガン政権としては、米国の同盟諸国との関係を強力に保ち、すべてのパートナーとの間で安全保障の負担の公正な分担を慫慂していく決意を固めている、そういう発言を行っているわけでございます。
アメリカの中東艦隊は、ワインバーガー国防長官も確認しているとおり、日本のタンカーを護衛する責任を負っているのではありません。しかも我が国は、条約上何ら負担すべき義務のない在日米軍駐留経費を日本側負担増という形で間接的にせよ財政援助をするということは、アメリカのペルシャ湾への武力介入を支持することになるのであります。
ワインバーガー国防長官が出したペルシャ湾における安全保障取り決めにもそういう趣旨が述べられています。 さて、このペルシャ湾で日本関係の船は随分動いているわけでございますけれども、これは直接米艦船によって護衛されていますか。
一方、アメリカを見ますというと、レーガン政権が末期になりましていろんな変化が起こりつつあると思いますが、一番顕著なのは、ワインバーガー国防長官がいなくなってカールッチという新しい長官が出てきて、今までの軍事優先の立場から軍事を抑制するという方向へ変わってきているというのもアメリカの大きな変化だと思います。
それで、今から五年前ですから昭和五十八年になりますか、五月十九日に、そのときのワインバーガー国防長官が、いわゆる池子問題について問い合わせをされたスミソニアン協会のディロンという人に書簡を送っています。これは重要な書簡ですからちょっと紹介をしておきますけれども、 米海軍はもはや池子を弾薬庫として使っていない。また、現在逗子地区に弾薬庫を必要ともしていない。
昨年の四月にアメリカのワインバーガー国防長官が日本に来たときも、FSXの機種選定ということは日本がお決めになることですとちゃんと言っているわけです。防衛庁の技術陣なんかも、国産で開発ができるという結論を出しているはずなんです。
と申しますのは、先般の防衛庁長官とワインバーガー国防長官との話し合いの中で、日本の独自の戦闘機の運用構想、あるいは日本の特殊な地理的条件、そういったものから見て既存機、現にある飛行機をそのまま使うというわけにはいかないという結論が出ましたので、いずれにしろ、改造開発にしろ、開発をして航空機をつくってみて、その結果によってそれを採用するという二段階による以外にないだろうということになりましたので、二段階論
○片上公人君 さらにワインバーガー国防長官は、今月七日に日本政府が決めましたペルシャ湾の安全航行確保の方策の一つである安全航行情報システムに対する財政支出に対しまして、ペルシャ湾での自由航行に向けた意義深い第一歩であるとのコメントを発表しました。
アメリカの例えばワインバーガー国防長官ですか、彼が日本の政治家、日本の政府に対してあれをぜひやれと、こういうことを言っているというようなことを聞きましたが、一体そういうことはあるんですか、アメリカが非常に強く三宅島に特に指向してあそこへつくれと言っていることが。あそこはまた非常に珍しい島ですよ。一度行かれるといいけれども、蛇がいないんだ、あそこは。
軍事関係の分野におきましても、昨年以来ワインバーガー国防長官の訪中、米艦船三隻のチンタオ入港、中国軍事委員会副主席の訪米というように交流が活発化しております。 朝鮮半島につきましては、南北対話の動きがいろいろあるということは外務省から説明がございましたので、繰り返しません。
これはワインバーガー国防長官が深刻な損害をこうむったと発言していることがやはりこの新聞に報道されておるわけですが、そうすると我が国を含めた西側の自由諸国の安全保障に大変な影響を与えておるということが言えるわけですね。言えば、大変損害をこうむっておる、こういうふうな事実が発生したわけですが、そのときに、この問題について外務省はアメリカに対して抗議をされたのかどうか。
私は、ワインバーガー国防長官が言っておるように、アメリカの核の軍事的優位を追求するいわば先制核攻撃戦略、それがSDIであり、そしてココムがそれと一体のものとしてアメリカの八八年度の国防報告が示しているような厳しい規制強化を行う。今回の外為法改正もまさにその具体化であるということを、こういう一連の事実、文書、そしてまた証言等々通じて断ぜざるを得ないと思うのであります。
それで伺いたいのは、その後いろいろなアメリカの中の有力者あるいは大統領御自身あるいはワインバーガー国防長官といったような方々が、今の御解釈と反するようなことをたびたび言われていると思うんですね。例えば研究段階であるというようなお話があるにもかかわらず、ワインバーガーはある時点では早急に配備したいといったようなことを言っておられます。
ですから、共産党がただどこまでアメリカの世界戦略、そしてワインバーガー、国防総省というふうに言っているんでないということを御理解いただきたい。かみ合った議論をしたいということからにほかなりません。
昨日、」これは六月二十九日のことですが、「ワインバーガー国防長官との会談後、中曽根首相が関係省庁に対して、日本の輸出管理制度を強化し、日本企業が関連法規を順守するよう強い政策をとるよう指示したことは注目に値しよう。」というふうに言っております。 これは米議会における公式の証言です。
次いで六月二十九日に、ちょうど来日中のアメリカのワインバーガー国防長官が中曽根首相に対して、東芝事件は米国のみならず日本、自由主義陣営に非常に深刻な被害を与えたと強調した。そこで、翌日三十日に閣議が行われますが、その閣議において中曽根首相が再発防止策の強化を指示いたしました。
特にレーガン政権になりまして、レーガン政権になったその直後のブラウン国防報告は別でありますが、レーガン政権としてのワインバーガー国防長官の国防報告、最初が一九八二年二月に行われた八三会計年度の国防報告ですが、ここで初めて国防報告の中にココムなり輸出統制なりの問題が出てくるわけであります。
今ハイレベルのココムの会議というのはときどき開かれているようなお話でありますけれども、それはワインバーガー国防報告で取り上げてから最初に一九八二年の一月に三十年ぶり、いわばココムができてから初めてと言っていいぐらいの時期にこのハイレベルの会合が開かれたわけですね。